2012年 05月 26日 ( 1 )

選択できないことへの不満

 先日ある場所で、ある飲食店の話になった。僕はその店で一度しか食べたことが無いのだが、それはもう一度食べに行きたいと思わなかったからだ。というか、その飲食店が料金をとって客に料理を出していることに疑問を感じてしまったくらい、自分には合わなかった。しかし、周囲の評判はそれなりで、僕ほど酷い評価を誰もしていないし、お客もそれなりに入っている。

 まあ、食べ物というのは好みなので、自分には合わなかったのだから、それはそれで問題無いと思うのだが、それでもやはり、皆がなぜあの店をそれなりに評価しているのか?自分では理解に苦しんでいる。また、なぜ自分ではそこまで評価が低いのか?キチンと結論を出せていなかった。

 そのとき飲食店の話を振ってきた人は、僕のその低い評価を聞くと、「屋久島の飲食店には、キチンと修行ぜず、素人の延長で始めてしまったような店も多い。そうした店と比べて、極端に内容が悪いと思わない」とそのときの話を締めくくった。まあ、そういう傾向があることも踏まえ、ちょっとこれはどうかな?と思うような店で食べても、僕はそこまでの不満を持ったことは無かった(僕はそこまで食べ物にうるさくない)のだが、その店に関してはダメだったのだ。

 それでよくよく考えてみたのだが、一つ思い当たったことがある。その店ではメニューの選択が出来なかった。そのときたまたまだったのか、詳しいことは忘れてしまったが、定食が一種類、つまりそれしか食べられなかった。それでそのメニューを頼んだら、まったく自分に合わないものが出てきた。

 僕が飲食店で食べた料理の中で、不味い料理として記憶しているナンバー1は、長野県の東信地方にあったあるラーメン店で出てきたラーメンだ。店に入った途端失敗したと感じたのだが、空腹に耐えかね、比較的料金設定の高いメニューをオーダーした(その方が安全だと思ったのだ)。しかし出てきたラーメンはほとんど食べることができなかった。しかたなく店を出てそのままコンビニに直行し、改めてパンを買って食べた。その日の昼食は高いパンを食べたことを良く覚えている。もちろんその店には二度と足を運んでいない(というか、後日通り掛たら潰れていた)が、それでも、その店でそのラーメンをオーダーしたのは自分である。つまり自分の側にもメニュー選択という責任が生じている。ほかに選択の余地があったので、別メニューであれば、違う体験だったという可能性が残っている。よってその失敗は、一方的に店側の原因と決めつけることができないのだ。

 つまり問題はそこにある。僕が評価していないその店では、メニューに選択の余地が無かった。そして出された料理がまったく自分の口に合わなかった。つまり、客の側からミスマッチを回避するメニュー選択というオプションが用意されていなかったのだ。お金をとって料理を出している飲食店ならば、あるていどメニューの選択ができて然るべきと僕は思う。そうでなくても良いけど、であればそれなりにストライクゾーンを広げて、より多くの層をキチンと満足させられる内容でないとダメだろうと。選択はできない、質は良くないでは、どうにもならない。というのが、良く考えて出した僕の結論でした。 
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by se-ji0038 | 2012-05-26 21:08 |