2009年 07月 29日 ( 1 )

決定的瞬間

 少し古い話題だが、新聞にローバート・キャパの出世作である「崩れ落ちる兵士」がやらせであったとの記事が載った。

 この写真については長年真贋論争が繰り返されて来たのだが、被写体の人物を特定したことで一応の解決を見たはずであった。しかしまたこの議論の再燃である。新聞は伝えている「この写真については長年論争があり、やらせでないとすれば完ぺき過ぎるといわれてきた」と。

 キャパの「崩れ落ちる兵士」がやらせかどうか?僕には分からない。しかし、この「やらせでないとすれば完ぺき過ぎる」という意見には異論がある。キャパが扱った「戦争」という題材には特殊な事情があるにせよ、世の中には決定的瞬間を撮った写真というのは現実に存在するからだ。

 僕自身、風景の中に動物を捉えた写真を幾つか発表している。これらも決定的瞬間と言って良いと思うのだが、時々こんな問いを投げかけられることがある。

 「これって合成?」

 デジタルカメラが広く普及してから「合成」という言葉が一般的になった。TVや映画もデジタル化によってCG合成が広く用いられるようになった。その所為か、合成によってどんな映像でも作り出せると思っている人がいる。究極的に言ってしまえば、どんな映像でも作り出せるというのは正解であるが、一方では間違いでもある。合成は合成でそんなに単純なものではないのだ。

 またフィルムを使うカメラで撮った写真で合成はできないが、デジタルカメラで撮った写真なら合成は出来ると思っている人もいるが、それは間違いである。合成というプロセスは撮影された写真データ(ここではあえてデータという言葉を使う、ネガ、ポジもデータ扱いだ)が出力(ここでも出力という言葉を使う。銀塩プリントも出力扱い)される間に差し挟まれる。そのプロセスにフィルムもデジタルも関係無い。

 しかしながら、デジタルカメラを使っていると、そこに「合成」という疑惑の目を向けられるのには納得し難い。僕自身は自然写真家を標榜している以上、そこに現実に起こった事象をカメラで捉えて発表するのが使命と思っている。合成をやりたいのなら、その方面の作家になればいいのだ。しかし僕にはその方面に対する興味は無い。だから、何時間も何日も掛けて被写体と向き合っている。その結果として作品を作っているだ。

 つらつらと書いたが、キャパに関して言えば、彼が戦争写真家を標榜していたということが「崩れ落ちる兵士」に対する真贋論争への答えではないだろうか?キャパの功績は、この1枚の写真だけではない。Dデーの写真など、当時の状況では画期的と言える映像を幾つも残しているのだ。

 しかしスペイン紙は、なぜ今頃この議論を蒸し返したのだろう?それが良く分からない。 
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by se-ji0038 | 2009-07-29 06:35 | 新聞から