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夢にまで見る

 ミス・インターナショナルに吉松さん 日本代表初のニュース。

 朝のNHKに沖縄から中継でその吉松さんが出演していた。インタビューのなか、自らビジョンを描き、それを何度も何度も具体的にイメージして、遂には夢にまで見るくらい具体的にイメージしてゆくなかで、実現してきた、という趣旨のことを話していた。

 夢にまで見るくらいに、具体的にイメージするチカラ。こういうチカラが夢を現実に変えてゆくのですね。参考になる話だったので、書き留めておこうと思いました。
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by se-ji0038 | 2012-10-23 23:59 | 日々

やったことは無駄にならない

b0178335_4333418.jpg 屋久杉自然館主催のカレンダーコンテストのカレンダーが形になって送られてきた。

 先日掲載作品が町報で紹介されたのだが、町報はたくさんの町民が情報源にしているようで、思いがけないところで声を掛けられたりする。例えばガス代の集金に毎月来る方からそんな話題を振られたり、ある行政機関の窓口に申請書を出しに行ったら名前を見て「ああ、あの!」と言われたりと言った具合だ。

 僕の写真は各種の雑誌などに掲載されたりして、クレジットもついているので、それなりに世の中に伝播しているはずなのだが、少なくとも島内に於いては、それよりもよっぱどプロモーションとしての効果があったという実感だ。

 この間のブログでも書いたが、プロ活動している身からすると、アマチュアの人と同じ土俵で写真を評価して、選外になったら、という恐れがあったのは確かだが、そうした不安を押しのけて出した価値はあったかな?というのが最近の実感。

 やったことは無駄にならない。プロだから、というような変なプライドはどっかにやって、こうしたところに写真を出してみるのもアリだな、と感じました。何より写真が美しいといった、ダイレクトな感想を貰えることは、素直に嬉しいものです。 
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by se-ji0038 | 2012-10-22 23:59 | 日々

VとW

 NHKスペシャル「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」 色々と参考になることが描かれていた。

 番組中得に印象に残った恩師の言葉「VとW」。

 何かを成しえてゆくために必要なのはVとWだ。 VはVision、WはWork。ビジョンを描き、そこに向かってがむしゃらにやることだと。そう、何かをなし得るためには、確かにこの二つが必要。そして、まずどんなビジョンを描くのか?そこが大切になる。改めて確認できたし、参考になった。

 それと山中教授がiPS細胞の研究に取り組んでゆく過程も参考になった。根っこのところで病で苦しむ患者を救いたいという想いがある山中先生だったが、臨床医は自分には向かないと研究者へ転向する。そしてES細胞に出合う。しかしES細胞は生命の根源とも言える卵子を破壊して作り出すもの。その問題を何とか解決したいと思ってiPS細胞(初期化)という、従来とはまったく正反対の発想へたどり着く。

 またそこへたどり着く過程ではご自身の於かれた状況も関係した。奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持った山中教授。どうしてもES細胞の研究をやりたかったが、その当時、ES細胞は世界中の名だたる研究機関で先を競って研究が行われていた。山中教授は新設大学の新米教授として人の後追い研究をやったのでは勝ち目が無いと考える。そうした戦略的思考もあって、iPS細胞を発想していったのだ。

 また研究開始して間もなく資金難で研究が行き詰る。打開策として国の研究資金に応募するのだが、その資金を勝ち取った一番の要素は山中教授の熱意だったと審査員の方がインタビューで答えていた。「とにかく熱意を感じた。まったく聞いたこともない研究だったので、成果はほとんど期待していなかったが、この人の研究をこのまま資金難で終わらせてしまうのは、勿体無いと思った」のだと。

 明確なVisoinは人を動かすと思います。
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by se-ji0038 | 2012-10-21 23:59 | 新聞から

黒味岳

b0178335_3452275.jpg 朝の5時に家を出て、8時半には黒味岳のピークにいた。考えてみると凄く贅沢な環境だと思う。こんなに天気の良い日にはなおさらそう思う。


b0178335_3451485.jpg 肩のあたりには、桜島の噴煙が見えた。
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by se-ji0038 | 2012-10-20 23:59 | 日々

ウィルソン株のハート

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 僕が初めてウィルソン株のハートを撮ったのは2006年7月13日だった。

 前年のロケで撮影したカットのサムネールをパソコンのモニターでチェックしているとき、「もうちょっとどうにかしたらきれいなハート型に撮れるのでは?」と発想したのがキッカケだった。

 当時の僕は11ヶ月働いては一ヶ月のロケ時間と費用をつくり出し、屋久島へ撮影に通うということをしていた。だから屋久島へ撮影に来ている以外の11ヶ月間、絶えず屋久島で次にどんな撮影をしようか?過去の撮影カットを振り返ったり、様々な資料にあたりながら考え続けていたのだ。

 そして僕はウィルソン株のハートを撮った。当日カメラの背面液晶に写ったそれは、ほんとうにもう完璧なハートだった。

 
b0178335_425096.jpg ぼくはそれを自らのウエッブサイトに掲載するとともに、屋久島リアルウエーブのデジカメ旅行記にも投稿した(エントリーNo.126にその履歴があります)。

 いまでこそ屋久島の情報を発信するウエッブツールは星の数ほどあるが、2006年当時の屋久島リアルウエーブは、他の追随を許さないキラーコンテンツを提供する、文字どおり屋久島のポータルサイトだったのだ。時代の流れとともに役割を終えてしまったが、屋久島のコアな情報がやりとりされる掲示板があって、僕も時々書き込みをしたし、そこからたくさんのフレッシュな屋久島の情報を貰ったことを思い出す。

 あの当時、ネットの住人で屋久島に興味や関心のある人達はみんなリアルウエーブに集まっていたし、僕が投稿したウィルソン株のハートも、あのとき随分たくさんの人の目に触れたと思う。それを裏付けるように、僕の投稿からしばらくして、島内からウエッブを使って情報発信していた方のウエッブツールにウイルソン株のハートを見掛けるようになっていった。

 そして翌年5月、僕は念願の屋久島移住を果たす。当時自然写真の分野でまったく無名だった僕が真っ先にやったことが、ポストカードを作って島内で販売することだった。これはそこから収益を得るという目的以上に、自らのプロモーション活動としての意図が大きかった。そのモデルとしたのは、たまたまラジオで耳にした「綾小路きみまろ」さんのエピソード。

 無名だったきみまろさんは、自作の漫談テープを高速道路のサービスエリアで配った。長時間移動する車の中なら、暇つぶしにそのテープを掛けて漫談を聴いて貰うことができるだろう考えてのことだった。こうした活動を地道に繰り返していたとき、そのテープが関係者の耳に留まり、きみまろさんはメジャーデビューのキッカケを掴んだというのだ。

 写真家であれ、漫談師であれ、無名であれば、まずは自分自身の写真や漫談を一人でも多くのお客さんに知ってもらうことが最初の一歩だと思う。僕はきみまろさんの漫談テープにあたるものが、ポストカードだと考えて、作ったそれを山や里で出会う人に名刺代わりに配る一方、島内の店舗に持ち込み販売を試みた。値段の安いポストカードであれば、より世の中に伝播し易いと考えたのだ。

 また絵柄については事前にリサーチし、島内で未だ流通していないもので、人の心を掴むだろうというものを中心に選んだ。もちろんその当時、ウィルソン株のハートのポストカードは島内で流通していなかったし、どこの店頭にも無かった。

 しかし、人にモノをあげるのは簡単でも、それが例え100円だとしても、買って貰うということになると、本当に難しい。僕自身が1枚1枚手売りするより、販売店さんの店頭に並べて売っていただくのが効率的なのだが、そのためにはまず、仕入れの担当者に仕入れて貰わないとならない。島に移住したての僕は周囲にほとんど知り合いが居ないので、とにかく飛び込みで営業に行った。

 しかし、最初それは難航した。簡単には扱って貰えないのだ。サンプルを見せて値段の交渉をしてみるのだが、大概の場合は一時預かりになった。確かにそれが実際に売れるか?売れないか?は究極的には店頭において試してみないと分からない。仕入れの担当としては、例えそれが委託であって仕入れのリスクが無いとしても、飛び込みで営業に来た人の商品のために店舗のスペースを割いて並べるのは、多少なりともリスクがある。ましてや買取となればなおさら仕入れのリスクがそこに積みあがるのだ。担当者として簡単に決められないのはよく分かる。

 そんなとき、サンプルで持ち込んだ「ウィルソン株のハート」のポストカードを一目見て、即決で取引を決めてくれた販売店の仕入れ担当者がいた。直ぐに一定量納品するように言われ、あっという間にスペースを作って店頭に並べてくれた。

 僕のポストカードは店頭に並ぶと順調に売れた。これまでの累積で相当数のポストカードが販売され、世の中に伝播して行った。僕が写真家として周囲に認識されてゆくのに、ウイルソン株のハートのポストカードは大きな役割を果たしてきたのだ。ポストカードがキチンと売れたことは、仕入れを即決してくれた担当の方にも随分喜んでもらった。その方との付き合いも5年半になる。厳しいことを言われることもあったが、あのとき扱いを即決して貰ったところから、僕の自然写真家としてのキャリアが始まったのだと思っている。そう言う意味で僕はその人の目利きに今でも感謝している。

 ところがである、先日その店舗に納品に行ったらその方が退職されたということを聞かされた。そのニュースは僕の中に、なんとういうか、小さな喪失感をもたらした。「なにかが終わってしまった」ような気がしたのだ。

 僕が、ウィルソン株のハートを撮った背景と、それが世の中に伝播してゆく背景をいつか書いておこうと思っていたが、なかなかその機会が訪れなかった。しかし、なんとなく、いまがそのときだと思った。あのとき、ウィルソン株のハートを見てTさんが扱いを即決してくれなかったら、僕の屋久島生活はまた違ったものになっていたと思う。そういう意味で、いまあらためて、ウィルソン株のハートを僕に撮らせてくれた屋久島と、仕入れ担当だったTさんに僕は心から感謝している。
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by se-ji0038 | 2012-10-19 06:17 | 日々

お金はいつも正しい

b0178335_6243914.jpg お金はいつも正しいを読む。この著者の本を手にとるのは初めてだが、Amazonの書評を読んで興味を持った。

 Amazonの書評のとおり、やや過激なタイトルに反して中身は至ってまじめ。表現の方法は違うが、ロバート・キヨサキ氏や本田健さんなどが語っていることと共通項がいくつか見て取れた。

 読み進めてゆくかなで、幾つか共感する部分があったが、「持ち家はリスクが高い」は特にそう思った。これだけ不確かで変化の激しい時代、30年とか35年とかの長期ローンを抱えて、生活基盤を固定してしまうことには僕も同じようにリスクを感じる。このあたり、男性と女性の感覚の違いについての説明もうなずけたし、国が施策として国民に持ち家を勧めてきた背景などが説明されていたのも参考になった。

 たしかにこの本で語られているとおり、時代時代の為政者の都合で国民は方向性を決められているのかもしれない。自分のアタマで考えることの重要性を再度認識した。

 それと、もうひとつ、結びで書かれていた、そもそもお金を稼いで何をしたいのか?の問いに、しばし逡巡した自分というのは、今回の大きな発見であった。そこやはり重要だと思います。
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by se-ji0038 | 2012-10-10 23:59 |

mixi「足あと」復活?

b0178335_5462580.jpg mixi「足あと」復活させるらしい。いまさらという感じが無いでもないが。

 僕自身、mixiを使わなくなって随分時間が経つ。アカウントは残してあるので、時々覗いたりするけど、ほとんど動かしていない。いっときは、毎日日記を更新していたし、コミュにも積極的に書き込みをしていたし、そこから情報を得ていた。特に屋久島移住前の2005年~2007年あたりは自分の中で一番盛り上がっていた時期だ。当時はマイミクさんからのコメントが応援となって、屋久島移住にも大きな推進力となった。懐かしい。

 mixiが決定的に廃れた理由は、軸が無かったことだと思う。あらゆるニーズに応えようと機能追加を繰り返す過程で、いわゆる旧来のmixiらしさが失われてしまったと思う。つまりmixiでなければならないという理由が無くなってしまったのだ。

 また機能追加に伴い、インターフェースもコロコロ変えてきた。SNSは習慣性の中にあるので、インターフェースががらりと変わることで、その習慣性がプッツリと分断されてしまう。そうしたことが繰り返される過程で、ユーザーのモチベーションが徐々に下がっていったのだと思う。
 
 ただ、時代やタイミングもあったのかも。TwitterやFacebookなど、新しいSNSが台頭してくる時期と、リアルな人間関係と同じで、mixi内の人間関係が飽和してくる時期が重なったと思う。「mixi疲れ」なる言葉があるように、mixiもすでに成長曲線のアタマを打った。そんなときにmixiのコアコンピダンスとも言える「足あと」機能を無くしてしまったのだ。mixiは一気に凋落へ向かった。

 だから、いまの時期の「足あと機能復活」は、遅きに失した感は否めない。mixi内での人間関係はもう過去のものになりつつある。必要なつながりは、既に別のプラットフォームに移ってしまったと思う。

 追記 僕がmixiのアカウントを残してあるのは、ある友人が1人だけ、未だにmixi内でアクティブに動いているからだ。彼がFBなどに移行してくれば、mixiにはまったく用が無くなるのだが、彼はmixiが居心地良いようで、mixiを楽しんでいる。それで僕も彼の動向が知りたくて、時々mixiを覗いている。
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by se-ji0038 | 2012-10-09 23:59 | web関係

困ったこと

 先日、島生まれ、島育ちの人と食事をした折、「屋久島に暮らして何か困ったことがありますか?」という質問を受けた。

 屋久島は離島とはいえ、実際暮らしてみて、それほど困ったことは起こらない。島内で買い物しようと思ったら選択はできないけど、一応必要なものはなんとか揃う。それに、いまはネットもあるので買い物はたいがいそれで事足りるし、Amazonはちゃんと送料無料で商品を届けてくれるし、クロネコさんも鹿児島市内扱いの料金で届けてくれる。確かにガソリンや生鮮食料品は高いけど、魚などは新鮮なものが安く手に入るし、住宅のつくりは別として、家賃なども驚くほど安いものがある(もちろん例外もあるが)。そういう意味ではあまり困らない。

 ただ、そうだね、買い物のとき実際商品を手にとって見られないというのは確かに不便かもしれない。都会だとカメラの新製品など直ぐに店頭に並ぶので、実機を手にとって点検することができるけど、屋久島では購入前に実機を手にとるということは叶わない(ネットで買うので)。カタログスペックを眺めて、あれこれ想像しながら、届いた商品の梱包を空けて初めて「オオ!」と思ったりすることが確かにあったかな。

 あとは医療関係かな。大きな病院があって基本的に24時間対応してくれるので、とてもありがたいけど、例えば産科などは一時色々事情があって休診していたことがある。そのときは、お隣の種子島か鹿児島まで船に乗って検診や出産に行かなければならなかった。海が荒れれば船は止まるし、町から費用の補助は出ていたけど、経済的な負担も大きかった。あの時期に妊娠していた妊婦さんもご家族も、ほんとうに大変だったと思う。

 ウチも子供ができて、医療機関に掛かることが増えたけど、やはり小児科のかかりつけ医というのがあったら心強いと思うことが時々ある。幸いウチはいままであまり大きな病気をしたことが無かったので良かったけど、少し深刻な問題を抱えると、毎度鹿児島まで通うのだという話が聞こえてくる。そうしたお子さんを抱えたご家族も、本人もやっぱり大変だと思う。

 そういう意味では、地続きでない離島ならではの不便さを感じるときがある。若くて元気なら何の問題も無いけど、何かあったときに困るのが離島かな?良い面、良くない面、色々あり、あとはその人の価値観がそれをどう捉えるか?ということだと思うけど。
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by se-ji0038 | 2012-10-07 23:59 | 日々

島に暮らし

 屋久島に暮らそうと思って家探しをしていた2007年3月のことを思い出していた。住む家は簡単にはみつからず、とにかく「できることはなんでもしよう」と思った僕は、考えられる限りの可能性をあたり、走り回った。

 それでも家はみつからなかったが、結果として随分たくさんの人のつながりが出来て、たくさんの人から様々な情報を貰うことができた。随分いろいろな人に助けて貰った。

 そのときも、ある人の家に泊めて貰いながら、家の真ん中に設えた囲炉裏の火に手をかざし、焼酎を酌み交わしながら色々な話をした。30年も前に屋久島に移住してきたというその人は、なぜ自分が屋久島に移住したのか?など、自らの身の回りのことをポツポツと話してくれた。そして、屋久島のある側面として、「いまはだいぶ変わったが」と前置きしながら、島暮らしの閉鎖性やそれに伴う特殊性について話してくれた。彼の意図するところは、島に移住したいという僕に、島暮らしがそんなに甘いものではないのだということを教えたかったのだと思う。
 
 「30年前の商店には、期限切れの商品や、半分カビの生えた商品が、平気で陳列してあった。それでも客は他に選択肢が無ければそれを買わざる得ない。商店がそこしかないからね。そう、言ってみれば殿様商売さ。買って貰うという意識はゼロで、売ってやるという感じかな。」

 30年前のことを、今の僕はこうした伝え聞き以外に知る術が無いので、額面どおり鵜呑みにはしないが、でもそれに類することがきっとあったのだろうと想像している。また、確かにその人の言うように、「だいぶましになり」、程度の差はあるが、それに似たことがいまも日常的に起こっていると感じることがある。

 移住したてのころ、紹介されてある理髪店に行った。客の立場として、新しい店のドアを開けるのはそれなりに心理的圧迫のあることだ。そんな気持ちを心のどこかに抱えながら、店のドアを開けた僕に、その理髪店の店主は、思いもかけない言葉を返してきた。

 「あ~ ウチは全部予約なんで」

 書き文字にしてしまうとニュアンスが伝わらないと思うのだけど、つまりそこには、予期せずドアを開けられたことが酷く迷惑なことで、まったく無作法なのだという意図が幾重にも透けて見えた。ちょっと違うかもしれないけど、中に人が居ることを知らずに試着室のカーテンを開けてしまったときのような気まずさが、そのときの僕にはあった。僕は「すみません」とアタマを下げて、開いた扉を丁寧に閉め、すごすごと退散するしかなかった。

 その後で知ったのだが、屋久島の理髪店は(例外はあるようだが)基本的に予約しか受け付けていない。需要と供給のバランスで、その店に対する顧客はある程度固定されており、店舗間の人の動きというのはほとんど起こらないので、基本的にフリーの客というのが発生しないからだ。都会の感覚だと、時間が空いたから散髪にゆこう、ということが起こるが、屋久島だと、こちら側が店の都合を聞いて、予め時間を予約してから行かないとならない。考え方によっては双方に無駄が無くなるので、合理的なシステムだが、事情を知らない移住したての僕のような人間は面食らう。

 また、これは理容分野に限らないが、需要に対して供給量が少ない傾向があるので、基本的に店のほうが強い。僕が最初に扉を開けた理髪店もフリーの飛び込み客を新しい顧客にしようという意図はさらさら無かったようだ。別にいまいる顧客で店の経営は間に合っているし、これ以上客に来られても迷惑なのだという感じをうけた。

 これが競争の激しい都会なら事情が違うと思う。新規顧客の獲得にはコストが掛かる。フリーの飛び込み客はなんとしても固定客に育てたいところだ。人の出会いとおんなじで、店と客との出会いも一番最初が肝心。そう考えれば答えはおのずと見えてくる。しかし、そうした都会的な感覚は屋久島では通用しない。良いか悪いかは別として、現実問題として日常的にそれがまかり通っている。

 また、店の側の理論に立てば、島という特殊な環境で商売をしてゆく都合上、都会的なサービスを望まれても提供することが難しい場面が多々ある。先にも書いたが傾向として需要に対して供給量が少ないので店舗側は思いがけず忙しい。事実として、そこそこの質があればお客がついて商売として成立してしまう。また質を上げようと思ったら、技術の習得や仕入れなどの面でコストが掛かる。都会だと簡単に手に入るものが、ここで手に入れようと思ったら、時間と手間とお金が余計に掛かるのだ。

 そうした結果、ウエイトを掛ける場所が都会とは明らかに変わってくる。それが客の側から見ると「殿様商売」に見える場合が出てくるのだと思うのだ。

 我が身を振り返って見れば、屋久島に住んで、自然写真の分野で細々とではあるが活動している。屋久島という小さな分野に限って見れば、それなりに周囲から認識されたし、実績をつくってきたと思う。しかし、それは屋久島に住んでいるというアドバンテージがあってのことで(もちろん前提としてそれが容易でないことは予め言っておくが)、しかし、だからこそ成立しているという面があることも否めない。

 果たして僕は屋久島以外のもっと競争の激しい分野で写真家、あるいはカメラマンとして通用するのだろうか?屋久島というブランドに寄りかかり、屋久島という閉鎖性と特殊性に守られ、屋久島に住んでいたからこそ成り立っていたのではないだろうか?

 そのあたり、そろそろキチンと検証しておく必要を感じている。
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by se-ji0038 | 2012-10-06 23:59 | 日々

10年前

b0178335_5493111.jpg 僕が屋久島に出合ってちょうど10年経った。思い出して10年前の写真を掘り返してみたら、淀川登山口の看板も今とは違って「宮之浦岳登山歩道入口」になっていた。色々なことは変化しているのだ。10年という時間の長さを感じる。

 9月の半ばから友人が子供を連れて島に滞在していた。彼女は3年前まで島に住んでいたのだが、諸事情あって島を出た。そしていま首都圏に暮らしているが、3.11以降の色々な環境変化を踏まえ、子供を育てる場という意味でも、もう一度島へ戻ってくることを考えているらしい。屋久島に暮らそうと思ったら、家と仕事、この二つが大きな問題になる。一人なら、テント暮らしという選択もあるが、家族が、まして子供がいるなら住む家はなんとかしなくてはならない。

 しかし、そういう意味では彼女は最初の家の問題はクリアしている。今回半月ほど滞在していた家がそれで、見せて貰ったが、羨ましいくらいの好条件。僕自身は屋久島に暮すにあたって家の問題ではずいぶんアタマを悩ませてきてのだが、そうした目から見て、これ以上の物件はなかなか出てこないだろうというものだった。

 それになにより彼女自身、屋久島が合っているように見えた。首都圏では随分窮屈な暮らしをしているらしいが、屋久島にいるとイキイキしている。仕事の面でも直ぐにでも来てほしいというところがあるのだとか。普通に考えれば何の障害も無いように思うのだが、家族がいるとやはり身軽には動けない。帰ったら家族会議だと言っていた。でもなんだか、帰ってきそうな予感。

 最終的はそこが、それが合っているか?どうか?ということが問題になる。彼女には屋久島が合っていそうに僕からは見えた。

 なんだかタイトルとかけ離れた内容になってしまったが、屋久島に出合って10年目に、そんなことをつらつらと考えていた。
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by se-ji0038 | 2012-10-04 23:59 | 日々