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出生届け

b0178335_4461246.jpg 20日に生まれた娘の出生届けを松本市役所に提出に行ってきました。

 出生届けは生後14日以内に届け出る義務があるので、当然それまでに名前を決めなければなりません。ウチは生まれる前から男女どちらでも良いように、幾つか名前の候補は考えてありました。

 候補としたのは、ある友人の経験談で、出産前に考えてあった子の名前を、出産後、子供の顔を見た奥さんが「どうも違う」ということで却下したという話を聞き、「そういうこともあるのか!」と、やっぱりその子の顔をキチンと見てから命名しようと思ったのです。ウチは幸いそういうことも無く、出産直後に妻が「愛」という名前でOKを出してくれたので、そのときから「愛」という名前で呼ぶことができました。

 ところで、一般的には「お七夜」と言って、生後七日目の夜に名前をつけてお祝いするようなので、それを待って翌の月曜日に届けに行ったのですが、これが失敗でした。我々のように遠方へ里帰り出産の場合、里帰り先の自治体の窓口で受け付けた出生届けが住所地(我々は屋久島町)の窓口に転送され、様々な事務手続きが始まります。その中には、例えば子供手当てのように、出生後15日以内に処理を必要とするものなどが含まれているのです。

 こういった事務手続きの類を殆ど妻に任せきりにしていたのですが、実際お産後の女性は体力的にも精神的にもそういったことに対処する余裕は無く(ホルモンバランスなども崩れるようで、精神的にも不安定になるようです)、結局旦那が駆けずり回ることになります。出産前後の諸々について、できれば、事前に旦那が積極的に係わって準備しておくべきと、体験して思いました。特に遠方に里帰りする場合はなおさらですね。

 ただ、幸いなことに屋久島町の担当者はとても親切で、郵送対応などで期限の間に合わない書類を、里帰り先の自治体から郵送して貰えるように手配などしてくださいました。本当に助かりました。

 また我々のように準備不足で事務処理を電話でやり取りする場合、名前の字面は重要です。「愛」という字は電話で伝えると相手が一発で分かってくれます。僕はこの名前を屋久島の「愛子岳」から貰ったのですが、それとは別に名前を考えるときに、口頭で字面が伝わり易い字ということも意識していました。シンプルで誰にでもに直ぐ覚えて貰えて、親しみを持って呼んで貰えて、皆に愛される名前。

 それと、こんな時代ですから、将来海外へ出る可能性も欲張って考えました。名前の漢字の意味を、海外でも簡単に説明できるという視点も重要と思っていました。そして、英語圏や(なぜかイタリア語圏)で発音できる音ということも意識しました。ちなみに男の子の名前で「光」という候補を考えたのですが、これはNGです。イタリア語圏では「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音が無いので、「ひかる」は「いかる」になってしまうそうです。同じような例で「みほ」も「みお」になってしまうのだとか。英語圏では亮(りょう)も発音されないと聞きました。「ろい」になってしまうとか。「あい」も英語圏では「私」という意の「I」と混同されてややこしいと、元YNACの岡田愛さんに聞いたのですが、それでも愛さんがNZで活躍しているので、「まぁ、いいだろう」と、このあたりは都合よく解釈です。

 しかし、僕は結婚して子を持つということを、自分の人生プランの中に想定していませんでした。それが屋久島に出合ったことで、そこで妻と出会い、結婚して屋久島に住み、屋久島で子を授かったのです。人生なんて、どこでどうなるか分からないものです。

 ただ実際に体験して、今回こうして子を持てたことが、今後の僕の人生に厚みを加えてくれるだろうと、自分で思えたことに驚いています。自分にこんな心境の変化が生まれるとは思っていませんでしたが、何事も経験してみないと分からないものです。人それぞれで、何が正解という話ではありませんが、少なくとも、僕の場合は娘を持てたことで、今後の自分の人生が大きく展開してゆく予感を持っています。感謝。
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by se-ji0038 | 2010-11-29 23:59 | 長野県の日々

家紋

b0178335_11481842.jpg 娘が無事生まれたことを、本家の叔父のところへ報告に行った折、座敷に飾ってある家紋の色紙を見つけた。

 この紋は「丸に抱き梛の葉」というそうで、大沢はこの紋を使っているということを初めて知った。紋の図柄を見て僕はピンと来た。ナギの葉だと。

 ナギは針葉樹であるが広葉樹のように広い葉形を持ち、日本では本州南岸や四国・九州といった温暖な地方に自生し、関東南部が北限とされるため、冷涼な長野県でその姿を見ることはない。僕も屋久島へ行って、花山歩道で初めて現物を見たのだ。

 葉脈が葉柄から平行に先端へ向け幾つか走る特徴的な葉形をしており、その様を凪いだ海になぞらえて「ナギ」という音があてられたという説を聞いた。おそらく屋久島で梛の現物を見ていなければ、僕はこの家紋に注目することは無かったと思う。

 娘が生まれたこのタイミングで家紋を知ったことは、何か理由があるように感じている。「丸に抱き梛の葉」を手がかりに、自分のルーツ、先祖のことを少し調べてみようと思っている。
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by se-ji0038 | 2010-11-24 11:59 | 長野県の日々

岩合光昭氏講演会

b0178335_2353490.jpg 長野県写真連盟創立60周年を記念して、岩合光昭氏の講演会が松本市のホテルブエナビスタであった。氏はあまり講演会をしないということで、よい機会なので聞きに行ってきた。

 幾つか印象に残ることを話されていたが、備忘録の意味でメモしておく。

 野生動物が餌を食べるという表現はおかしいと話されていた。具体的にはTV番組の中で「ライオンが餌を食べている」という表現はおかしいのでやめるようにNHKのディレクターに助言したという。野生動物は家畜ではないので、餌は食べない。「ライオンがシマウマを食べている」という表現に改めるべきだと語っていた。

 講演の最中、最近何度か屋久島へ撮影に行ったという話が出てきたので、屋久島へどんなテーマを持って撮影に行っているのか質問してみた。ヤクザルとヤクシカの関係についてあるテーマでミッションを持って撮影をしに行ったらしい。撮影は成功し、近い将来その映像は発表されるようだ。またその話の流れで、ヤクザル達のグルーミングを撮影しながら、指先に掴み取ったシラミを顔から離して眺めるヤクザルがいることに気がついたという。その固体は年をとったサルで、きっと老眼なのだろうと話されていた。老眼のサルがいるということを僕は知らなかったので、そういう目でヤクザルを観察したことは無かったが、今度機会があったらじっくり観察してみようと思った。

 ニホンザルがヤマザクラを食べるシーンを撮影しながら、彼らの食べているヤマザクラを自分でも食べてみたという。詳しい数字を失念したが、ヤマザクラは確か5~6部咲きの頃が一番蜜を持っており、満開になるとその甘みが減ってしまうという。だからニホンザルは満開の花は素通りして蜜を一番持っている山桜を食べるのだそうだ。動物は食べ物の旬を知っているという。そこで、僕はもう一つ、岩合先生自身がご存知の美味しい食べ物を訪ねてみた。イタリアのシチリア島で食べた生うにのパスタ。やはりイタリアで食べたレモンのジェラートというメニューが挙がった。対して中華料理をグルタミンソーダの塊だと酷く否定していた。食べ物は素材の味を楽しむのが一番だという意味だと理解している。

 ところで、僕も小杉谷でソメイヨシノを食べるヤクザルを何度か撮影している。しかしそのシーンでサルたちは満開の花を一生懸命食べていた。ヤマザクラとソメイヨシノで違いがあるのかもしれないが、僕にはサルたちの食べている花を味わってみようという発想が無かったので、今度ぜひトライしてみようと思う。

 氏の講演会を聞いて感じたことは、氏が動物の目線で動物を良く観察して写真を撮っているということだ。自然動物写真家は、同時に偉大なナチュラリストでもあるということだ。色々参考になる話を聞けた。
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by se-ji0038 | 2010-11-23 23:59 | 長野県の日々

生み出す

b0178335_9415256.jpg 18日の夜に、Iさんという女性からメールを貰った。僕はそのメールを19日の朝開いて読んだ。

 彼女は16日の縄文杉トレッキングの前日、宮之浦のナカガワスポーツで僕のポストカードを購入し、そのとき「こんな所にヤクシカが都合よく現れるわけがない、合成かな?」という率直な感想を漏らしてしまったという。家に帰り着いてから、僕のウエッブサイトのエピソードを読み、「そんなふざけた発言が耳に入ったら…と」そのことを悔いて、わざわざメールで知らせて来てくれたのだ。

 彼女はこんな風にも書いていた。「帰ってきて時間が経つにつれて、貴重な経験をしてきたんだと、じわじわ、幸せな気分にひたっています。」と。

 縄文杉とヤクシカの写真が撮れたとき、僕は嬉しくて、それまでの経緯を長々と書き連ねてしまった。こんなにも長い文章をわざわざ読む人はいないだろうと思いつつも、とにかく嬉しくて仕方なく、書き込んでしまったものだ。それを最後まで読み、わざわざメールで知らせて来て呉れたことに僕は感激していた。そして、この誠実な女性に、キチンと返信をしなければ、とメーラを開いたところで携帯が鳴った。

 電話は妻からだった。妻は身ごもっており、出産に立ち会いたいという僕のわがままを聞き入れて、一月ほど前から僕の故郷の長野県松本市に一緒に帰省していた。そして前日の検診で医者から入院を勧められて病院に入ったところだったのだ。妻は電話の向こうでこう話した。「早朝に破水して、陣痛室にこれから入るところだ」と。

 僕は慌てた。予定日までまだ間があったし、昨日からの入院はあくまで体調管理を主目的としたものだと説明を受けていたので、まさか昨日の今日でこんなことになるとは思っていなかったのだ。とりあえず妻の実家に電話で一報だけ入れると、お袋を伴って病院まで走った。

 陣痛室で妻は唸っていた。酷く腰が痛むという。僕にできることはその痛む腰をさすってあげることだけだ。妻の体にとりつけられた聴診器がデータを拾い、それをグラフに描き出してゆく。針を振り切るほどの強い陣痛の山が最初10分おきくらいに訪れていた。このままいけば、夕方には生まれてくるだろうか?とお袋と二人で話しながら、ただひたすら顔を歪める妻の腰をさすり、水を飲ませ、バナナなどを小さく切って口へ運んだ。しかし、その日の午後になると陣痛は小康状態になり、そのまま夜になってしまった。

 そして陣痛の波は、時に1時間以上休んだかと思うとまた10分おき、5分おきということを繰り返し、小康状態のまま夜通し続いて、結局朝になってしまった。その間何度か聴診器が描き出すグラフを別室でモニターしていた医師が慌てて部屋へ駆け込んでくる場面があった。グラフはもう一方で胎児の心拍をモニターしており、陣痛が長時間に及んだため、時折胎児が苦しいサインを出しているのだという。このまま陣痛が強くならなければ、場合によっては外科的な処置もありうるというような可能性を示唆された。

 朝の診察で妻が別室に運ばれたとき、僕は徹夜明けの冴えないアタマで、こうなったら帝王切開も止む無しと覚悟を決めた。すると別室から妻が目を輝かせて帰って来た。なんといつの間にか胎児は子宮口まで自力で降りてきており、昨夜半分も開いていなかった子宮口が既に全開になっているという。これは別室でグラフをモニターしていた医師の想定外の出来事だったようで、診察した医師が声を上げて驚いていたというのだ。そして「ここまで頑張ったのなら、なんとしても生ませてあげる」と請け負ってくれたのだ。

 しかし、そこからまた妻の苦しみは続く。妊娠中につわりが酷く、一度限界まで体重を落とし、その間都合3週間も入退院を繰り返し、直近の18日の入院以来、ほとんど睡眠を取れなかった妻の体力は限界に来ていた。それでも「子供が自分で頑張ってここまで降りてきたのだから、私は絶対頑張る」と言って妻は譲らなかった。いよいよ陣痛が強くなり、15:30にやっと分娩室に入った。

 分娩室での出来事を、いまの僕は文章にするだけの力を持ち合わせていない。それはただ「壮絶」の一言。そして、わが子がこの世に生まれ出たその瞬間を、僕は生涯忘れることは無いだろう。僕はこの瞬間に立ち会ったことで、確実に自分の人生観の何かが変化したと断言する。おそらくこれは体験した人にしか伝わらない。人を一人この世に生み出すということは、本当に尊いことであり、母というのは真に偉大な存在なのだということを、僕は体験から学んだ。

 全てが終わり、僕が病院を出たのは21:00を回っていた。帰り道を、11月の蒼い満月がこうこうと照らしていた。家に帰り着き、シャワーを浴びると僕は倒れこむように布団に潜り込んだ。そしてまどろみの中で、生み出すということを考えていた。

 生み出すということのなんと大変で尊いことよ。僕は僕の経験の外で物を考えることはできない。僕は写真という表現で作品を世に生み出しているのだが、結局のところ「生み出す」ためには膨大な時間と膨大なエネルギーを掛けないとそれは叶わない。それは写真作品も、子供も、根っこのところは同じだと感じた。

 翌朝目覚めた僕は、書きかけだったメールのことを思い出して返信を書いた。返信を書きながら、このタイミングで見知らぬ女性が「縄文杉とヤクシカ」についてメールを送って来てくれたことの意味を考えていた。本当のところは良く分からないが、きっとこれは、僕にこれからの写真表現についての覚悟を問うメッセージだったのだと思っている。作品を生み出すということについて、いままで以上に深く考えてみるキッカケになる出来事だったと思っている。 
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by se-ji0038 | 2010-11-22 20:03 | 長野県の日々

きょうのできごと

b0178335_22253934.jpg ほんじつ16:20に娘が生まれ、僕も人の親になりました。娘の名前は「愛」。僕の住む、屋久島小瀬田地区の前岳である「愛子岳」より一字を貰うことにしたのです。

 しかしながら、出産というのは実際に立ち会ってみて、ただ「壮絶」の一言。人を一人この世に生み出すというのは、本当に大変なことなのだと実感しました。母というのは偉大な存在です。
 
 いまはだだ、人生の大仕事を終え、ひたすら眠る妻に、心から感謝。ほんじつより我が家は三人体制になって新たな船出です。みなさん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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by se-ji0038 | 2010-11-20 22:37 | 長野県の日々

カレンダー

b0178335_9154589.jpg 屋久島間環境文化財団作成の23年度版オリジナルカレンダーに3点ほど写真を採用いただきました。

 使用された写真は、表紙の縄文杉と7・8月のウミガメ、9・10月の安房川のカットです。詳細はこちら

 ちなみに、1・2月は麦生のえびす様、3・4月は小杉谷の桜、5・6月は永田岳とヤクシマシャクナゲのカットで、他の方の写真が使われています。

 カレンダーは宮之浦の屋久島環境文化村センターにて1部500円で扱っています。またホームページに掲載の予定で、掲載後は通信販売も対応してくださるとのことです。なお,制作数が少ないので,限定販売になる(希望数によっては,増刷も予定)とのことでした。

 ご希望の方は、直接宮之浦の屋久島環境文化村センターへ行くか、財団へ問い合わせてみてください。

財団法人屋久島環境文化財団
屋久島環境文化村センター
〒891-4205
鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦823-1
TEL:0997-42-2911 FAX:0997-49-1018


 
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by se-ji0038 | 2010-11-11 09:27 | 写真