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AF-S 70-200mm F2.8 G VR II

b0178335_5381173.jpg 海外の噂サイトの情報どおり、このレンズが発表になりました。

 スペック的にはVRが現行3段分から4段分へ進化したことと逆光に強いナノクリスタルコートが採用されたことが大きな違いで、デザイン的には現行の24-70を延ばしたようなデザインで、鏡筒の段差が無くなりました。その所為か重量が現行より70g増えているそうです。写りに関しては元々定評のあったレンズなのですが、若干周辺描写について難を指摘されていました。そのあたりの改善があるのか?実写レポートが楽しみです。

 発売は11月とのこと。直ぐにでも使いたかったので4ヶ月のブランクは痛いところです。また値段的にはポイント還元など考慮しておおよそ24万円台がほとんどです。現行モデルが17万円台なので発売までの期間差なども考えると難しい選択です。しばらく悩みます。

 またこれとは別ですが、NikonからFSA-L2という、ちょっと面白い製品が発表になっていました。DSLRとフィールドスコープを繋ぐアタッチメントです。ズーム機構を有しています。

 フィールドスコープにデジカメを繋いで撮影する手法をデジスコと言うそうですが、あるキッカケでそれを知って以来、デジスコも注目して情報集めをしています。少し前のデジスコ界はDSLRを繋ぐことに対して技術的なハードルを有していましたが、昨年あたりから、カメラの高感度特性が飛躍的に向上した関係で、DSLRを使用したデジスコも俄然注目を集めています。

 デジスコの使用目的としてやはり野鳥撮影が思い浮かぶのですが、このFSA-L2を組み合わせることによってズーミングできるというのはやはり便利だと思います。EDGフィールドスコープ85と組み合わせるとFX換算で500~1,750mmの超望遠レンズになります。しかし両方揃えたら軽く20万円をオーバーしますね。いずれもいい値段です。
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by se-ji0038 | 2009-07-31 06:13 | カメラ

オリジナル

 「学ぶ」とは「真似ぶ」に語源があると本で読んだ。なるほど、世の中に完全なるオリジナルなどあり得ない。先人達の貴重な遺産をなぞりつつ、その要素を組み替え、自らの体内に取り込むことによって科学変化を起こし、自身のオリジナリルへと昇華させてゆく。これが表現活動だと思う。

 そういう意味で、何かを表現している人には師匠というのがいる。それは具体的には、隣にいる人物であったり、著作の中にある思想であったり、レコードやCDなどのメディアに封じ込められたエネルギーだったり、ネットの先に居る面識の無い人の考えだったり様々だ。しかし、先ずは「学ぶ」姿勢が大切。その段階は「守」「破」「離」と大雑把に分けられる。

「守」師の教えを愚直に実践する時期
「破」師の教えを積極的に破る時期
「離」それまでの経験を踏まえつつ、自らのオリリジナルへ昇華させる時期

 「守」及び「離」の時期は修行期だ。表現者には誰にでも経験があると思うが、こうした時期を経て自らのオリジナルを発表してゆく。だからこそ、そこに誰かの影響というのは避けられない。

 しかし、時としてその影響の度合いというのが問題になる。つまり「似すぎる」ということだ。「影響」と「コピー」は違う。特に音楽などはデジタル的要素が強いのでこの「影響」と「コピー」の境が難しい。「どこかで聞いたことのあるメロディー」を譜面で分解してみると、それはその元になったメロディーにほぼオーバーラップしてしまうということがある。こうなった時の判断は難しい。ライブ演奏なら解釈の仕方で別の切り口を持たせることもできるが、固定化したレコーディング演奏だと問題はややこしい。

 佐野元春氏が音楽界におけるこうした影響の問題を「インスパイアー」という言葉で解説していた。「つまりそれは娘が母親から料理の味を受け継ぐようなものなのだと」。この解説は腑に落ちる部分と落ちない部分がある。分析は省略するが、問題となるのは師が母親一人であるという点だ。家庭料理の味についてはこれで問題ないだろうが、もしこれがプロの料理人となると話は別である。プロとして、誰かにそっくりな料理を作って出すということが、果たして許されるのだろうか?

 話を「写真」に絞ってゆこう。自然写真の分野も「オリジナル」については難しい部分がある。特に写真というのは音楽で言う「レコーディング演奏」と同じで固定化されてしまうので、より突き放して客観的に見る比較の対象になり易い。また時を経て繰り返し比較されることで、アイディアのオリジナリティーについて何度も評価を受けることになる。身近にアイディアの源泉が転がっていると、その関係を簡単に暴かれてしまう。だからこそ、アイディアの源泉との距離が近いこと、またそれを限定的に求めることは非常に危険なのだ。

 最近そうした具体的な事例に触れて「はっと」した。最初に書いたように、この世にまったくのオリジナルなど存在しない。僕自身もアイディアは色々なところから得ている。またそうした方法論については肯定的な立場だ。しかし、アイディアの源泉をいとも簡単に見破られてしまうような行為については疑問を感じる。それは果たしてオリジナルと言えるのだろうか?その事例を反面教師として、自らの写真をもう一度再点検してみようと思った。
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by se-ji0038 | 2009-07-30 07:29 | 写真

決定的瞬間

 少し古い話題だが、新聞にローバート・キャパの出世作である「崩れ落ちる兵士」がやらせであったとの記事が載った。

 この写真については長年真贋論争が繰り返されて来たのだが、被写体の人物を特定したことで一応の解決を見たはずであった。しかしまたこの議論の再燃である。新聞は伝えている「この写真については長年論争があり、やらせでないとすれば完ぺき過ぎるといわれてきた」と。

 キャパの「崩れ落ちる兵士」がやらせかどうか?僕には分からない。しかし、この「やらせでないとすれば完ぺき過ぎる」という意見には異論がある。キャパが扱った「戦争」という題材には特殊な事情があるにせよ、世の中には決定的瞬間を撮った写真というのは現実に存在するからだ。

 僕自身、風景の中に動物を捉えた写真を幾つか発表している。これらも決定的瞬間と言って良いと思うのだが、時々こんな問いを投げかけられることがある。

 「これって合成?」

 デジタルカメラが広く普及してから「合成」という言葉が一般的になった。TVや映画もデジタル化によってCG合成が広く用いられるようになった。その所為か、合成によってどんな映像でも作り出せると思っている人がいる。究極的に言ってしまえば、どんな映像でも作り出せるというのは正解であるが、一方では間違いでもある。合成は合成でそんなに単純なものではないのだ。

 またフィルムを使うカメラで撮った写真で合成はできないが、デジタルカメラで撮った写真なら合成は出来ると思っている人もいるが、それは間違いである。合成というプロセスは撮影された写真データ(ここではあえてデータという言葉を使う、ネガ、ポジもデータ扱いだ)が出力(ここでも出力という言葉を使う。銀塩プリントも出力扱い)される間に差し挟まれる。そのプロセスにフィルムもデジタルも関係無い。

 しかしながら、デジタルカメラを使っていると、そこに「合成」という疑惑の目を向けられるのには納得し難い。僕自身は自然写真家を標榜している以上、そこに現実に起こった事象をカメラで捉えて発表するのが使命と思っている。合成をやりたいのなら、その方面の作家になればいいのだ。しかし僕にはその方面に対する興味は無い。だから、何時間も何日も掛けて被写体と向き合っている。その結果として作品を作っているだ。

 つらつらと書いたが、キャパに関して言えば、彼が戦争写真家を標榜していたということが「崩れ落ちる兵士」に対する真贋論争への答えではないだろうか?キャパの功績は、この1枚の写真だけではない。Dデーの写真など、当時の状況では画期的と言える映像を幾つも残しているのだ。

 しかしスペイン紙は、なぜ今頃この議論を蒸し返したのだろう?それが良く分からない。 
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by se-ji0038 | 2009-07-29 06:35 | 新聞から

AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G

b0178335_661856.jpg リニューアルの噂が絶えないこのレンズだが、またまた新型が出るという噂がある。D300s、D3000と同時に、この木曜日(つまり30日)に発表があるというのだ。

 フォーマットをAPS-Cからフルサイズ、Nikonで言えばDXからFXに変えてから、70-200mmの焦点域の重要性を痛感している。ミドルレンジで風景を切り取るには、ちょうど頃合いの良い、欲しい距離なのだ。

 そこでこのレンズ、何度も買いそうになったのだが、その度リニューアルの噂があって躊躇してきた。SIGMAのAPO 150-500mm F5-6.3 DG OS HSM があるので、何とか150mm以上はそれで凌ぎ、どうしても70-150mm域の必要な時は、Canon40D+24-105mm(換算38-168mm)を併用することで何とかして来たのだ。しかし、これらはあくまで依頼された撮影の時だけで、撮り溜めている屋久島の風景撮影は昨年末以来Nikonでやっている。やはり不便は感じていた。

 今回の噂は根拠を書いてないものの、99.99% confirmed rumor(確認された噂)だそうだ。期待して30日を待ちたい。ただその一方、新型になって価格がどうなるのか?も注目している。

 それとついでに書いておくと、SIGMAの150-500mm は皆既日食の撮影用にBORGを検討している過程で(この記事を参考にした)、焦点域とF値がほぼ同じ(ちなみにBORGの標準は510mmのF6.6)このレンズをみつけ、どうせならAFも使えるし手振れ補正もついて使い勝手の良いSIGMAを選択したものだ(値段もBOGUとほぼ同じ)。

 しかし、実際に使用してみてSIGMAの150-500mmはBORGとは比較にならないくらい使い勝手も良いし、巷間で噂されるほど画質面での問題は無い(同じく伊達さんがレポートしていますが、僕もほぼ同じ意見)。そういう意味でSIGMAの150-500mmを買って良かった。

 肝心の皆既日食は生憎の荒天で観測出来なかったので、もし買ったのがBORGなら、その後の使い道も限られるのでもっとショックが大きかったろうと思っている。 
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by se-ji0038 | 2009-07-28 06:39 | カメラ

トムラウシ、美瑛岳の遭難

 北海道、トムラウシ山と美瑛岳で、夏山の遭難事故としては過去最悪の10名という死者が出た。まず最初に亡くなった方のご冥福を心からお祈りもうしあげます。今のところ情報が錯綜している感もあり、詳しい原因についてはこれからの検証を待たなければならないが、報道などから知りうる内容を踏まえて、備忘録の意味も含めて、自分なりに検証したい。

トムラウシ山について詳しく見てみると、


死亡者内訳(客)  男性1名 女性6名 平均年齢64.28歳
死亡者内訳(ガイド)男性1名        年齢61歳

生存者内訳(客)  男性4名 女性4名 平均年齢63.37歳
生存者内訳(ガイド)男性2名      平均年齢35歳

 ということで、客だけ見てみると、死亡したのはほとんどが女性。ツアー構成が元々男性5名女性10名だったので、その傾向は強いが、生存率を見ると、


男性生存率 80%
女性生存率 40%

となり、女性の生存率は男性の半分という数字が出ている。またツアー客の平均年齢を見ると、

ツアー客全体 63.8歳
死亡者    64.28歳
生存者    63.37歳

となり、生存者の方が若干、若いという傾向が出ている。しかし、年齢よりも男女差の方が結果に大きく影響している。


注1)ツアーにはもう一人ガイドが同行し、実際には19名のパーティーだったが、1名のガイドはヒサゴ沼避難小屋に留まったため、遭難時は18名のパーティーだった。この1名のガイドが何故そこに留まったのか?は今のところ良く分からない。

注2)ガイドの経験について、最初に歩行困難になって死亡した登山者に付き添って頂上付近に留まり、やはり死亡した広島の61歳のガイドについては、トムラウシの経験があったが、それ以外の2名はトムラウシの経験が無かったようだこの点は問題だと思う。

注3)また同じ避難小屋に泊まり無事下山した6名のパ-ティーがあったというが、これについての詳細も不明。


 一方、美瑛山の方は3人の客に対し3人のガイドがついていたが、やはり死亡事故をおこしている。


死亡者内訳(客)  男性0名 女性1名   年齢64歳

生存者内訳(客)  男性0名 女性2名 平均年齢58.50歳
生存者内訳(ガイド)男性3名        平均年齢31.00歳

ということで、3名の女性客の中の、最高齢64歳の方が亡くなっている。こういう分析は側面的でしかないとは思うが、ある傾向は示していると思う。

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 また天気についてだが、この時期の北海道を15日から16日にかけて通過した低気圧は例年ではあり得ない規模だったという情報がある。「今年は7月10日、13日、15日と三回も低気圧が北海道を直撃しています。ざっと調べたところ、こんなことは少なくとも過去20年くらいはなかったことです」。

 今回の遭難のニュースを聞いて、僕は2006年10月の、白馬岳の遭難事故を思い出した。この日松本市内はさながら厳冬期のような気温低下があり、僕は予定していた山行を取りやめた記憶がある。北ア方面は雪の雲に覆われ、美ヶ原にも冠雪があった。「遭難事故が起きなければ良いが」と思っていたが、案の定事故は起きた。しかし、経験的に言って、あの時期にあれだけの気温低下は異常だった。もし前日入山していたら、行動中、情報が少ない中で自分は適切に対処できたか?少し自信が無い。だからこそだが、あれ以来、最近は天候に関して、どんな事でも起こりうるのだという覚悟を持つようになった。今回の北海道のケースもこれに似ていると僕は感じている。

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 今回の事故の原因について、更に詳しい検証を待たなければならいいが、 トムラウシのケースが総勢19名と、定員30名のヒサゴ沼避難小屋を半分以上占領してしまうような大規模なものであったことは、色々な意味で問題を含んでいると考える。美瑛岳のケースでも死者を出していることを考え併せれば、荒天の中で日程を強行した時点でアウトであったと思うが、トムラウシが大人数パーティーであったことが被害の規模を大きくしたことは確実である。

 屋久島の高地山岳部でも時々、10名、あるいは20名を超えるという、信じられないような大規模パーティーを目撃することがある。ツアー登山を真っ向から否定はしないが、こうした大名行列的なツアー登山は、やはりどこかに歪みを抱えているのではないか?というのが僕の考えである。
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by se-ji0038 | 2009-07-19 05:36 | 新聞から

皆既日食直前

b0178335_1149976.jpg 皆既日食直前、屋久島は連日好天が続いている。できればこのまま当日を迎えてほしいが、天気予報を見ると、明日から前線が九州南部に下がってきて、下り坂のようだ。一雨来てからもう一度回復、というのがベストのシナリオなのだが、できればそのように都合良く行って欲しい。

 島内は、県外ナンバーの車やレンタカー(宮崎ナンバーのレンタカーも見かけた)が昨日あたりから一気に増えて来た感がある。しかし、今のところ想定外の混乱は無いようだ。スーパーの店頭に食料品は普通にあるし、島の外周道路が極端に渋滞するということもない。

 沿岸部には、普段見ないコースガードの艦船が待機している。何となくだが盛り上がって来た感はある。

 めぼしい場所は、どこへ行っても人で一杯になるので、暫くの間僕は人の来ないところで撮影をやっている。人の来ない場所というのは、つまり過酷な場所でもある。しかし、撮影を休む訳にはいかないので、地味に撮影を続けています。
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by se-ji0038 | 2009-07-18 11:57 | 日々

剣岳点の記

b0178335_5551953.jpg 9日じゅうに鹿児島へ戻り市内で一泊(高速船の最終便は15時台なのです)。10日はミッテ10に映画を見に行きました。今回見た映画は新田次郎原作の「剣岳点の記」。この小説が映画化されることは昨年から知っていたので、公開されたらぜひ見に行きたいと思っていた。

 時は1907(明治40)年、国防のために日本地図の完成を急いでいた陸軍は、陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎に国内最後の空白地帯を埋めるため「陸軍の威信をかけて剣岳に登頂せよ」と厳命する。折りしも国内ではスポーツ登山のさきがけとして日本山岳会が創設され、小島烏水率いる登頂隊がやはり未踏の剣岳を目指す。しかし、当時の状況で剣岳の登頂を果たすことは不可能と思われていた。

 映画は「八甲田山死の彷徨」や「聖職の碑」のカメラマン、木村大作氏が自らメガホンをとった初監督作品。全編に渡りヘリ撮影無し、当時の測量隊が辿ったルートを俳優、スタッフが同じように踏破し、実際の現場に立って撮影されている。木村大作氏は俳優に言う。「オレは演技のことは分からないから、自由にやってくれ」と。しかし、俳優を実際にその現場に立たせることが既に究極の演出。全編に渡りリアリティー溢れる映像は、立山の自然が持つ力強さと、嘘偽りの無く自らの足でその現場に立ったプロの俳優達の、気迫こもったドキュメンタリーでもある。2時間19分があっという間だった。

 オススメです。
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by se-ji0038 | 2009-07-10 05:54 | 日々

OLYMPUS PEN E-P1

b0178335_8312282.jpg 8日のライブ後に天神で一泊。翌9日は福岡タワーや中洲などを回り市内観光をした後、博多駅側にあるヨドバシカメラ博多で展示カメラを片っ端から触って来た。屋久島にいると新製品が出てもネットで画像を見るだけで、実機に触れることが出来ないので、ここぞとばかりに時間をとりました(笑

 その中で、やはり今回一番注目したのがOLYMPUS PEN E-P1 。デジタル一眼レフカメラの黎明期、各社がAPS-Cという従来の135mmフォーマットより一回り面積の小さなセンサーを採用する中で、OLYMPUSはそれより更に小さなフォーサーズという規格を採用した。当初、センサー部品が高額であったことと、小さなフォーマットは、レンズ交換式のデジタル一眼レフカメラ特有の問題である「ゴミ問題」に対して対策を立て易かったことから優位性があった。しかし、時代の変遷とともに、そうしたフォーサーズの優位性は失われ、業界のトレンドが高画素化へ向かう中で、小さなフォーマットが逆に足枷になって来ていた。そこで(だと思うのだが)、フォーサーズ陣営は小さなセンサーという優位性を生かすために、ミラーレスという方向へ切り込んで行った。この分野では同じフォーサーズ陣営のPanasonicが先行したが、OLYMPUSも満を持して今回EP-1をマーケットへ投入した。

 実機を触ってみた感想だが、それは思っていたよりは大きく感じられた。理由はEVFやレンジファインダーを省いた関係で、外観が一般的なコンパクトデジタルカメラに似ているため、それと比較してしまうからだと思う。しかし、このカメラで使用されているセンサーは、コンデジのそれとは比較にならない大きなものだし、レンズ交換式であることを考え併せれば、驚くほどコンパクトに仕上げてあると言わざる得ない。そして質感は上々。モノとして欲しくなる質感だ。

 インターフェースに関しては、僕がOLYMPUS機に馴染みが無いせいで、最初少し戸惑ったが、幾つかボタンを押しているうちになんとなく習得できた。直感的に操作できる。反応も上々。今回の小旅行のような時に鞄に忍ばせておき、小さな三脚と組み合わせれは、風景写真の分野でも、思いがけない傑作をモノに出来る可能性を秘めたカメラだと感じた。

 うーん、まじめに一台ほしいなぁ~。
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by se-ji0038 | 2009-07-09 08:30 | カメラ

Billboard Live FUKUOKA

b0178335_6235079.jpg 8日の晩、Billboard Live FUKUOKAで小曽根真 Featuring No Name Horses のライブを見る。このライブは妻のリクエスト。小曽根真さんは妻の郷里、神戸出身の世界的なスタープレーヤーで妻のCDラックには小曽根さんのCDが全部揃っている(多分)というくらい熱烈なファンなのだ。

 僕はジャズのことはまったく分からない。二十歳前後、六本木のライブハウスへ撮影に通った時期もあるが、それはあくまで撮影が目的で、ジャズそのものについてはまったくの門外漢だった。しかし、結婚以来、小曽根さんの音楽はいつも我が家で掛かっていたので、多少なりとも感化されて、僕もその方面の音には慣れ親しんでいた。そして、いつか二人でライブに行きたいと妻は常々口にしていたのだが、屋久島からライブに行くということは小旅行を意味する。しかし、Billboard Live FUKUOKAが8月で店を閉めてしまうことと、ちょうど時間の取れる時期だったので、思い切って出掛けることにしたのだ。

 朝屋久島を発ってお昼に福岡入り。Nikon福岡SCに立ち寄りカメラのメンテナンスを依頼したりして時間を使い、頃合いの時間にライブハウスへ行った。Billboard Live FUKUOKAは想像していたより大きなハコだった。それにステージが大きい。それもそのはず、No Name HorsesはBig Band、ホーンだけで12本もある。そこにBassとDrumsとPiano、今回特別にPercussionが加わって総勢16名の大所帯だ。

 食事を採りながら開演を待つ。定刻になり、会場の照明がゆっくりと落とされてプレイヤーがステージに上がった。一発目、ガツンと来た。巨大な音のエネルギー砲弾に打ち抜かれた。16名のBig Band、それも12本のホーンセクションの威力というのは凄まじい。No Name Horsesの演奏は、いつもCDで聞いていたのだが、やはりライブ演奏はそれとは一線を画す。妻がライブに拘った訳を納得した。

 しかし、と思う。ステージの間、Pianoの小曽根さんはどちらかと言えばマネージメントに徹していた。小曽根さんがどれほどピアノプレーヤーとして優れていたとしても、12本のホーンセクションと比較してしまえば、音の厚みという点で、物理的にピアノの影は薄くならざる得ない。また16名の大所帯がグルーブ感を持って演奏をしてゆくためには、やはりリーダーのマネージメント力が重要になる。小曽根さんのピアノはプレイヤーとして聴かせるピアノではなく、バンドの方向性を定める、マネージメントのピアノだと感じた。

 妻によれば、Big Bandは小曽根さんの夢だったのだという。これは僕の勝手な想像だが、海外で本物のBig Bandに触れた小曽根さんは、いつか自分でBig Bandをやりたいと思ったのだろう。しかし、そこまでの道のりが険しかったことは想像に難くない。だからこそのマネージメントピアノなのだろうと、僕は勝手に納得した。

 日本国内で、これだけのスタープレイヤーを擁したBig Bandの演奏を聞ける機会は稀有だと思う。屋久島からライブのためだけに福岡まで行くのはちょっと遠かったけど、その価値は十分過ぎるほど感じた8日の晩の演奏だった。
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by se-ji0038 | 2009-07-08 06:22 | 日々

自由になるのは大変なのだ

b0178335_329465.jpg 今井純著 自由になるのは大変なのだ―インプロ・マニュアルを読む。

 ある人の縁でこの本を手にとった。得るものがとてもたくさんあった。しかし、そもそもインプロとは何か?

 インプロヴィゼーションとは、演劇、音楽、ダンスなど、創造性に関わるパフォーマンスを即興で行うことである(本文P109より)。

 ここだけ読むと、一般の人には縁遠い話に聞こえるが、良く考えてみれば、人間は誰しも「人生」という舞台を即興で演じながら生きている。そこに台本は無い。インプロゼーションという枠で囲まれた演劇には、ある程度のルール(というか方向付け)が存在し、それに沿って進められてゆくのだが、そこでパフォーマーは自らのパターンに直面する。自らのパターンとは「観念」という言葉に置き換えても良い。またその観念を構成する最も大きな要素は「恐れ」だ。恐れは自らの足を止める。即興演劇は、自らがそこに「気づく」ためのエクササイズとしても機能する。気づきがおこれば、次の展開が開ける。即興演劇を繰り返すことで、自らの足を止めている原因を突き止め、そこから開放されてゆくため「体質」を獲得することが出来る。

 またこの本は、即興演劇という枠の中で、人が自らの足を止めてしまう原因をシステムマチックに解説している。人間というのは、幾つかのパターンに沿って自らの人生を止めているということが、この本を読むと良く分かる。

 そして改めてだが、本のタイトルのとおり「自由になるのは大変なのだ」ということが良く分かる。自由になるということは本当に大変です。
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by se-ji0038 | 2009-07-07 03:45 |