カテゴリ:新聞から( 40 )

山と渓谷 2013年 1月号

b0178335_1554091.jpg山と渓谷 2013年 1月号に宮之浦岳の登山ガイド記事を書きました。

 山と渓谷本誌のお仕事は初めてだったのですが、文字数制限が厳しかったのでコンパクトにまとまった記事に仕上げてみました。宮之浦岳登山をご検討の方はぜひ参考にしてみてください。


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by se-ji0038 | 2013-01-03 16:01 | 新聞から

VとW

 NHKスペシャル「ノーベル賞・山中伸弥 iPS細胞"革命"」 色々と参考になることが描かれていた。

 番組中得に印象に残った恩師の言葉「VとW」。

 何かを成しえてゆくために必要なのはVとWだ。 VはVision、WはWork。ビジョンを描き、そこに向かってがむしゃらにやることだと。そう、何かをなし得るためには、確かにこの二つが必要。そして、まずどんなビジョンを描くのか?そこが大切になる。改めて確認できたし、参考になった。

 それと山中教授がiPS細胞の研究に取り組んでゆく過程も参考になった。根っこのところで病で苦しむ患者を救いたいという想いがある山中先生だったが、臨床医は自分には向かないと研究者へ転向する。そしてES細胞に出合う。しかしES細胞は生命の根源とも言える卵子を破壊して作り出すもの。その問題を何とか解決したいと思ってiPS細胞(初期化)という、従来とはまったく正反対の発想へたどり着く。

 またそこへたどり着く過程ではご自身の於かれた状況も関係した。奈良先端科学技術大学院大学で初めて自分の研究室を持った山中教授。どうしてもES細胞の研究をやりたかったが、その当時、ES細胞は世界中の名だたる研究機関で先を競って研究が行われていた。山中教授は新設大学の新米教授として人の後追い研究をやったのでは勝ち目が無いと考える。そうした戦略的思考もあって、iPS細胞を発想していったのだ。

 また研究開始して間もなく資金難で研究が行き詰る。打開策として国の研究資金に応募するのだが、その資金を勝ち取った一番の要素は山中教授の熱意だったと審査員の方がインタビューで答えていた。「とにかく熱意を感じた。まったく聞いたこともない研究だったので、成果はほとんど期待していなかったが、この人の研究をこのまま資金難で終わらせてしまうのは、勿体無いと思った」のだと。

 明確なVisoinは人を動かすと思います。
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by se-ji0038 | 2012-10-21 23:59 | 新聞から

TV番組から

 最近放送されたTV番組から心に響いたこと幾つか。

 ロンドン五輪が終わり、NHKスペシャルのミラクルボディーで「ウサイン・ボルト」と「内村航平」二人の金メダルまでへの曲折を新たに取材してプロットに織り込み再放送していた。二人とも簡単に獲った金メダルではなかったのだ。

 ボルトは五輪代表選考会を兼ねたジャマイカ選手権で後輩のヨハン・ブレークに敗れている。これは北京五輪以来盛り上がった周囲の記録への期待に応えようと苦手とされるスタートを克服しようとしたことに原因がある。もともとボルトの強みは誰にも真似できない後半のトップスピードにあったのだが、スタート改善に取り組んだことにより、トップスピードを生み出していた太もものハムストリングスという筋肉を痛めつけてしまった。短所を克服しようとするあまり、長所を殺してしまったのだ。

 ボルトは選考会後全ての試合をキャンセルしてハムストリングスのケアに専念する。試合に出ないボルトをメディアは一斉にもうダメだと書き立てる。しかしボルトは自分を信じ、自分の走りを取り戻すことだけに専念して五輪の本番を迎える。「北京五輪のとき、スタートがどうとか、そんな難しいことを考えて走っていなかった。それがいつしか、記録へこだわるあまり、自分の走りを見失っていたのだ」と。

 五輪の決勝のとき、ボルトのスタートはダメだと言われた右足が大回りする癖がハッキリと出ていた。しかし勝った。五輪という舞台で勝って金メダルを獲ったのだ。試合後のインタビューでボルトは語った。「世界じゅうの人がボルトはもうダメだと言ったが、ただ一人、僕だけが僕の才能を信じ続けた」と。そうして自分の走りを取り戻して獲った金メダル。素晴らしいと思った。

 ロンドン五輪での内村航平のまさか!というミスは誰もが驚いた。試合後のインタビューに内村航平はこう答えていた。「四年に一度の五輪。勝ちたいという気持ちが前に出すぎてしまった」と。

 内村航平もまた、ボルトと同じように自らの「美しい体操」を取り戻す過程で金メダルに行き着く。「金メダルを獲ってみたから分かるのですが、五輪で金メダルを獲るのは、ほんとうに難しいことです」とインタビューで語っていのが印象的だった。

 プロフェッショナル仕事の流儀で「駅弁販売・営業所長・三浦由紀江」さんの回が放送された。全ての組織の管理職に見て貰いたいという内容。

 専業主婦だった44歳のときに初めて駅弁のパート従業員として働きに出る。店の売上げを急上昇させ、注目を集め正社員へ。そして大宮営業所の所長へ抜擢された。現在は9つの店舗を任され、100人を超える部下を統括し、売上げを伸ばしている。凄い、ほんとうに凄い!

 三浦さんの仕事の流儀は「自分だったらこうしてほしい」「現場が、一番わかっている」「現場だから、話せるとがある」「自分の仕事を誰かに振れ」など、「そうそう、そうなんだけど、それができない」だよということばかり。アタマで分かっていることと実践の間には100万光年の開きがあるのだが、これができるからこそ、カリスマと言われるのだろう。

 しかし、そんな三浦さんも今に至る過程で思い悩んだ曲折の時代が描かれていた。パートあがりで所長に抜擢され部下が誰もついて来ない。そんなとき三浦さんを救ったのがかつての上司の一言だった。「三浦さんの得意なことから初めてみたらよい」と。

 三浦さんは部下にアタマを下げ、苦手なパソコン仕事を代わって貰い、空いた時間で現場へ出た。そうやって自分らしく仕事する過程で売上げを伸ばし、部下の信頼を勝ち取って行ったのだ。三浦さんは振り返る。結局背伸びして自分を見失っていたのだと。


 大切なことは「自分らしく」。いずれの番組もそこを描いていたように感じた。 
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by se-ji0038 | 2012-08-21 23:59 | 新聞から

産経新聞科学面「写生」連載10回 ヤクシカ

 産経新聞の科学面で連載が続いている「写生」ですが、オリンピックの紙面構成で掲載が延期になっていた第10回目の「ヤクシカ」が掲載されました。この記事を持ちまして、今回の連載は終了となりました。ありがとうございました。

 また、それ以前の9回分はバックナンバーとしてMSN産経で読めます。

 【大沢成二の写・生】アサギマダラ
 【大沢成二の写・生】トビウオ
 【大沢成二の写・生】ズアカアオバト
 【大沢成二の写・生】アオウミガメ
 【大沢成二の写・生】ミソサザイ
 【大沢成二の写・生】ロデオ
 【大沢成二の写・生】ツマベニチョウ
 【大沢成二の写・生】アオゲラ
 【大沢成二の写・生】ヤクザル


 
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by se-ji0038 | 2012-08-20 23:59 | 新聞から

産経新聞科学面「写生」連載8回 トビウオ

 産経新聞の科学面で連載が続いている「写生」ですが、第8回目の「トビウオ」が掲載されました。

 それ以前の7回分はバックナンバーとしてMSN産経で読めます。

 【大沢成二の写・生】ズアカアオバト
 【大沢成二の写・生】アオウミガメ
 【大沢成二の写・生】ミソサザイ
 【大沢成二の写・生】ロデオ
 【大沢成二の写・生】ツマベニチョウ
 【大沢成二の写・生】アオゲラ
 【大沢成二の写・生】ヤクザル
 
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by se-ji0038 | 2012-07-23 23:59 | 新聞から

産経新聞連載「写生」

 産経新聞連載の「写生」ですが、25日掲載分で、全10回のうち半分、5回まで終了しました。

 過去の記事はMSN産経の科学面で読むことができます。
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by se-ji0038 | 2012-06-25 23:59 | 新聞から

ツマベニチョウ

 MSN産経の科学面に、ツマベニチョウの記事が掲載されました。本紙にも同時に掲載されていると思います。

 原稿は4月中に書いたので、どんなことを買いたか?既に忘れていたのですが、改めて読み直してみたら、面白いことを書いていました。

 この、蝶の気持ちになって考えるというのは、2006年に安曇野で開催した写真展の会場で知り合った、seiyaくんに教わったのです。当時彼は小学生で、お父さんの影響で昆虫写真を熱心に撮っていました。彼は昆虫写真を撮るには、虫の気持ちになって考えるとうまくゆくのだと、僕に教えてくれました。以来僕は蝶なら蝶の気持ちを考えて撮るようにしています。

 そんなseiyaくん、昨年開催した松本市美術館の写真展で再会しました。すると既に高校生でした。身長も伸びて立派な青年です。大人になると5年なんてあっという間ですが、子供の5年は凄い成長の時間です。原稿を読み直しながら、そんなことを思い出していました。

 
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by se-ji0038 | 2012-06-04 23:59 | 新聞から

MSN産経

 産経新聞に連載中の「写生」ですが、MSN産経で読めるようになっていました。ヤクザルアオゲラの2回分、掲載中です。
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by se-ji0038 | 2012-06-01 23:59 | 新聞から

産経新聞連載

 産経新聞の科学面の「写生」というコーナーで、先週より小さな連載がはじまった。生き物関係の記事で、毎週月曜日掲載で10回の予定。28日の第2回目は「アオゲラ」をとりあげた。

 お世話になっている東京の編集者さんからメールを貰って、28日の紙面にも無事記事が載っていることを教えて貰った(僕は未だ紙面を見ていないのです)。

 いままで、雑誌や単行本の記事執筆などは経験があったが、新聞連載は初めて。こうして多くの方に自分の写真を見ていただく機会があったことを、ほんとうに嬉しく思っている。

 ところで、神戸にいる妻の両親から、「産経新聞を買って読んだが、記事を見つけられなかった」というメールが来た。調べてみると、産経新聞は東京と大阪に本社があって、関東と関西で管轄が分かれているようだ。どうやら、関東と関西で紙面が異なるようですね。
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by se-ji0038 | 2012-05-28 23:59 | 新聞から

YAYA'S SONG VOL.2

b0178335_41333.jpg 僕の写真集屋久島 (青菁社フォトグラフィックシリーズ)の英訳を妻と一緒にやってくれたEさんからFacebookで「YAYA'S SONG VOL.2」の紹介があった。このCDのピアニスト菅原敏さんは、Eさんの弟さんなのだ。

 そして「YAYA'S SONG VOL.2」について検索していたら、なんとお父様のブログを発見してしまった。そこには以下のように記されていた。

"「ヤヤ」というのは、「ヤヤコ」の略で「赤ん坊」という意味だ。だから《YAYA、S SONG》とは「子守唄」とでも言えばいいのかもしれない。収録されている曲目はみんな馴染みのある次の8曲だ。(1)赤とんぼ (2)リンゴ追分 (3)早春賦 (4)春の小川 (5)ふるさと (6)とおりゃんせ (7)南部牛追い唄 (8)浜辺の歌。 "

 本日我が家ではずっと「YAYA'S SONG VOL.2」が流れていた。どの曲も良いが、やはり「ふるさと」は名曲だと思います。ちょうど故郷の長野からコシアブラコゴミが届いたので、それが天婦羅などになって食卓に並び、ふるさとを聞きながら故郷の味を楽しみました。

 ところで、Eさんに写真集の英訳をお手伝いいただくことになったいきさつを簡単に説明すると、妻とEさんは二人ともジャズピアニスト小曽根真さんのファンであり、2年前のちょうど今ごろ、妻が小曽根さんのコンサートチケットをEさんに譲ったことが知り合うキッカケでした。

 その年、春先から小曽根さんのコンサートを楽しみにしていた妻でしたが、コンサート直前になって妊娠が発覚。入院するような酷い悪阻に苦しみ、当然コンサートを見に東京までゆくことができなくなってしまったのです。Eさんとは小曽根さんのコミュニティーで縁があったようですが、以来つながりがあって、写真集の英訳を妻がやることになったとき、一人では心もとないということで、誰かお手伝いくださる方がいないか?となり、Eさんの名前があがりました。Eさんはお願いを快諾くださり、素晴らしいプロフェッショナルな仕事で、僕の写真集に英訳の奥行きを加えてくれました。

 写真集の英訳については鹿児島のN先生が「ウチの妻が絶賛している。英語に関してウチの妻は専門家(MITに英語留学したほどの方)なので、その妻がいうことは確かだ」と言ってくださるほどのできです。

 こんな風に音楽が繋いだ縁で知り合ったEさんの弟さんがプロのジャズピアニストだということを、今回初めて知りました。それもFacebookで繋がっていたからですが、ネットの力って凄いですね。僕らは屋久島に暮らしているので、ネットはうまく使うと、ほんとうに力になると思っています。
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by se-ji0038 | 2012-05-15 23:59 | 新聞から