生み出す

b0178335_9415256.jpg 18日の夜に、Iさんという女性からメールを貰った。僕はそのメールを19日の朝開いて読んだ。

 彼女は16日の縄文杉トレッキングの前日、宮之浦のナカガワスポーツで僕のポストカードを購入し、そのとき「こんな所にヤクシカが都合よく現れるわけがない、合成かな?」という率直な感想を漏らしてしまったという。家に帰り着いてから、僕のウエッブサイトのエピソードを読み、「そんなふざけた発言が耳に入ったら…と」そのことを悔いて、わざわざメールで知らせて来てくれたのだ。

 彼女はこんな風にも書いていた。「帰ってきて時間が経つにつれて、貴重な経験をしてきたんだと、じわじわ、幸せな気分にひたっています。」と。

 縄文杉とヤクシカの写真が撮れたとき、僕は嬉しくて、それまでの経緯を長々と書き連ねてしまった。こんなにも長い文章をわざわざ読む人はいないだろうと思いつつも、とにかく嬉しくて仕方なく、書き込んでしまったものだ。それを最後まで読み、わざわざメールで知らせて来て呉れたことに僕は感激していた。そして、この誠実な女性に、キチンと返信をしなければ、とメーラを開いたところで携帯が鳴った。

 電話は妻からだった。妻は身ごもっており、出産に立ち会いたいという僕のわがままを聞き入れて、一月ほど前から僕の故郷の長野県松本市に一緒に帰省していた。そして前日の検診で医者から入院を勧められて病院に入ったところだったのだ。妻は電話の向こうでこう話した。「早朝に破水して、陣痛室にこれから入るところだ」と。

 僕は慌てた。予定日までまだ間があったし、昨日からの入院はあくまで体調管理を主目的としたものだと説明を受けていたので、まさか昨日の今日でこんなことになるとは思っていなかったのだ。とりあえず妻の実家に電話で一報だけ入れると、お袋を伴って病院まで走った。

 陣痛室で妻は唸っていた。酷く腰が痛むという。僕にできることはその痛む腰をさすってあげることだけだ。妻の体にとりつけられた聴診器がデータを拾い、それをグラフに描き出してゆく。針を振り切るほどの強い陣痛の山が最初10分おきくらいに訪れていた。このままいけば、夕方には生まれてくるだろうか?とお袋と二人で話しながら、ただひたすら顔を歪める妻の腰をさすり、水を飲ませ、バナナなどを小さく切って口へ運んだ。しかし、その日の午後になると陣痛は小康状態になり、そのまま夜になってしまった。

 そして陣痛の波は、時に1時間以上休んだかと思うとまた10分おき、5分おきということを繰り返し、小康状態のまま夜通し続いて、結局朝になってしまった。その間何度か聴診器が描き出すグラフを別室でモニターしていた医師が慌てて部屋へ駆け込んでくる場面があった。グラフはもう一方で胎児の心拍をモニターしており、陣痛が長時間に及んだため、時折胎児が苦しいサインを出しているのだという。このまま陣痛が強くならなければ、場合によっては外科的な処置もありうるというような可能性を示唆された。

 朝の診察で妻が別室に運ばれたとき、僕は徹夜明けの冴えないアタマで、こうなったら帝王切開も止む無しと覚悟を決めた。すると別室から妻が目を輝かせて帰って来た。なんといつの間にか胎児は子宮口まで自力で降りてきており、昨夜半分も開いていなかった子宮口が既に全開になっているという。これは別室でグラフをモニターしていた医師の想定外の出来事だったようで、診察した医師が声を上げて驚いていたというのだ。そして「ここまで頑張ったのなら、なんとしても生ませてあげる」と請け負ってくれたのだ。

 しかし、そこからまた妻の苦しみは続く。妊娠中につわりが酷く、一度限界まで体重を落とし、その間都合3週間も入退院を繰り返し、直近の18日の入院以来、ほとんど睡眠を取れなかった妻の体力は限界に来ていた。それでも「子供が自分で頑張ってここまで降りてきたのだから、私は絶対頑張る」と言って妻は譲らなかった。いよいよ陣痛が強くなり、15:30にやっと分娩室に入った。

 分娩室での出来事を、いまの僕は文章にするだけの力を持ち合わせていない。それはただ「壮絶」の一言。そして、わが子がこの世に生まれ出たその瞬間を、僕は生涯忘れることは無いだろう。僕はこの瞬間に立ち会ったことで、確実に自分の人生観の何かが変化したと断言する。おそらくこれは体験した人にしか伝わらない。人を一人この世に生み出すということは、本当に尊いことであり、母というのは真に偉大な存在なのだということを、僕は体験から学んだ。

 全てが終わり、僕が病院を出たのは21:00を回っていた。帰り道を、11月の蒼い満月がこうこうと照らしていた。家に帰り着き、シャワーを浴びると僕は倒れこむように布団に潜り込んだ。そしてまどろみの中で、生み出すということを考えていた。

 生み出すということのなんと大変で尊いことよ。僕は僕の経験の外で物を考えることはできない。僕は写真という表現で作品を世に生み出しているのだが、結局のところ「生み出す」ためには膨大な時間と膨大なエネルギーを掛けないとそれは叶わない。それは写真作品も、子供も、根っこのところは同じだと感じた。

 翌朝目覚めた僕は、書きかけだったメールのことを思い出して返信を書いた。返信を書きながら、このタイミングで見知らぬ女性が「縄文杉とヤクシカ」についてメールを送って来てくれたことの意味を考えていた。本当のところは良く分からないが、きっとこれは、僕にこれからの写真表現についての覚悟を問うメッセージだったのだと思っている。作品を生み出すということについて、いままで以上に深く考えてみるキッカケになる出来事だったと思っている。 
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by se-ji0038 | 2010-11-22 20:03 | 長野県の日々

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